103歳のヴァイオリン教師の死、そして「神童」 渡辺茂夫

ヴァイオリン教師、渡辺季彦氏が103歳で亡くなった、というニュースを数日前に耳にして、ずしんとした重たい悲しみを覚えた。

渡辺茂夫という、少年天才ヴァイオリニストを作り上げたのが、渡辺季彦氏なのだった。
季彦氏は、茂夫の養父(叔父だったが茂夫の両親が離婚したため養子として引き取った)。
茂夫は四歳半から父季彦氏のヴァイオリンの指導を受け、14歳のとき、来日したハイフィエッツに絶賛されて、彼の推薦でジュリアード音楽院に無試験で留学した。
世界一の演奏家になると多くの指揮者、演奏家たちに評されたが、ジュリアードの主任教授が彼の演奏法を変えようとしたせいか、茂夫は精神不安定になる。
(茂夫はこの頃、急に日本嫌いになったという。あるいは、英語が解るようになったのが、悲劇の始まりなのかもしれない、とも想像する)
茂夫は精神科の治療を受けたものの、16歳の時、薬を大量に飲んで自殺未遂をする。
命は取り留めたものの、二度とヴァイオリンを演奏できない姿となって茂夫は日本に戻った。
寝たきりに近い茂夫が58歳で亡くなるまで、介護を続けたのが季彦氏だったのだ。
その後、季彦氏は103歳という、天寿ともいえる歳まで生き続けていた、ということだ。

自分が丹精込めて作り上げた、芸術品といえる天才演奏家を、結果的に壊してしまったのは自分なのではないか、という思いを抱きながら、その父は老齢になっても介護を続け、自分ばかりが、その後、長く生き残る結果となったのではないか。
そんな想像に、私は苦しめられる。

寝たきりの息子の身体を拭きながら、口に食べ物を運びながら、
たとえCDをかけなくとも、
父の耳には、常に『神童』茂夫君のかつての演奏が聴こえていたのではないだろうか。

渡辺茂夫君の演奏は、本当に純度が高く、清冽だ。
人生の汚れ、というものがまだ侵入していない音楽だ。
魂まで届くと、聴くたびに感じる。
父は、悔恨の念、というものをずっと、ずっと、103歳という年齢になるまで、背負わされていたのではないか。
でも、茂夫君の演奏は、それらすべてを、赦しという、やわらかい絹の布のようなもので包み込んでいるように聴こえる。