上野公園

藤原定家、その父、藤原俊成の真筆が展示されているという、冷泉家展に行ったのは、寒気団が強烈に攻めて来ている時だった。

それでも、展覧会場は人の波で熱気に満ちていた。
ギュウギュウで、背中越しから、何とか、国宝や重要文化財の筆跡を覗き見る。
でも、この人並みは会期終了直前で、それも水曜(東京都美術館は65歳以上の人は無料)だったせいのようでもあった。

しかし、それにしても、千年前の人が書いた「名月記」や「百人一首」、「源氏物語写本」などを間近にすると、やはり圧倒される。
筆に墨をふくませ、紙の上に筆先を降ろし、文字を書き始める瞬間の息遣い、というものが感じられる気がした。
書こうとしている事に向かう集中力も伝わってくる。
俊成は几帳面な美しい字で、定家の字は、自由でセッカチな感じだった。

藤原定家を祖とする冷泉家は、これらの書物を伝えることを務めとした家とか。
さまざまな時代の波を乗り越えて、こういうものを維持するというのは、非常に大変な事だろう、ということは想像に難くない。
家のプライド、というのは、こういうことから生み出されるのだろう。
そして同時に、歪みや軋みも多かったのだろうな、と並べられた歴代当主の写真を眺めながら思った。

パソコンのキーを打つだけで、ブログが自由に大量に生み出されているこの時代を、藤原定家が見たら卒倒するだろうな、と思いながら、美術館を出て、上野公園の枯葉を踏んで歩いた。

動物園の入口近くまで来て、ふらっと中に入った。
入場料600円。
二十年ぶりくらいだ。
数日前、上野動物園で50年ぶりにゴリラの赤ちゃんが生まれた、というニュースを見たせいで、呼ばれているような気がしたのだ。
大きなお母さんゴリラが、小さい小さい赤ん坊を胸に大事そうに抱えている映像だった。
切符売り場のお姉さんに、私は「ゴリラの赤ちゃんは見られるのですか?」と尋ねたが、「まだ、予定はありません」との答え。
当然だろう。

ま、そうだな、と思いながら、それならと、入口から右に折れ、冷え冷えとした園内の道を進んだ。
右の道を行くと、獰猛な物たちがいる。
オオワシ、ライオン、虎。
そう、虎、虎の檻をめざして。

来年は虎年だ。
虎を見なくては。

冬の曇り日で、陽射しは翳り、薄暗い中に、虎はいた。
虎は、立派ながっしりした骨格に、黄色と黒の縞模様がくっきりした、革のコートを羽織っているように見えた。
毛皮のコートでなくて、革のコート。
贅肉が無いので、そんな風に見える。
そして、あの、睨みの効いた顔。
あの怖ろしい顔を見ていると、なぜか悲しくなる。
あまりにも謹厳な感じがするからだ。
職務に忠実な感じ。
虎、という職務・・・。


薄暗い、ガラス張りの檻の中で、虎は、微妙にイラだち、行ったり、来たり、をさかんに繰り返していた。
行ったり、来たり。
行ったり、来たり。

ああ、何かを待っているんだな、君は。
何だろうね・・。